●● 野神 ●●


峡南(河内)地方に伝わる神楽について

昭和22年12月15日マッカーサー元帥による神道指令は日本の国民に大きなショックをあたえた、これ以来日本の上下は等しく神社界を誹誘し紳道を荒唐無稽、罵り、あるいは時勢に迎合する評者蒙等によって攻撃の的にされた。勿論、神道指令は神社界ばかりでなく、全ての宗教に対するものであったが、一般にはそれまでの神道の占める位置が大きかっただけに、特に神道がクローズアップされて映った。しかしながら、ひるがえって考えてみると神社の神道は、日本の真髄であると外人から指摘されたものとも考えられる。混迷する世の中で、良識のある人は神道の中に日本の良さを求めている人が多かった。

天照大神の出

この頃から神楽が一つの文化財として取り上げられたものである。神楽がこれまでかえりみられなかった原因は、演技そのものの性質と明治以来の国家神道、即ち官僚神道とによるものが大であろう。即ち官僚紳道や、これによる神職は神楽に無関心であって、しかも氏子の感情としては祭官の気取った状態や、こけおどしの形式張ったにすぎた服蓑による祭式だけでは何か物足らず、日に楽しみを求めて止まなかった。

神社芸能がそれであって、即ち神楽である。全国各地の神楽の歴史は相当古いと思われるが、ここでは我が山梨県は峡南(河内)地方(西八代郡、南巨摩郡)の神楽は他の地方に比較して演技が異なっており、また演技者は事柄を意識せず伝わったものを、ただ行なっているものと思われるので非常に遺憾に考え、解説を加えることとした。主に古事記、日本書記、また風土記から取材したものである。